私はFacebookのアカウントはあるものの、友達が大島てるさんくらいしかいないため、たまに気が向いたら眺める程度にしかやっておりません。ただ最近は人名検索をすると結果の上位にFacebookがヒットするので、仕事で会った人を確認する時に使ったりします。
で、最近気がついたんですが、自分がFacebookで訪問した相手が「知り合いかも」で、自分のサイトのトップページに出るようになり、さらに親切(迷惑?)なことに、メールでも「ほにゃららさんをご存知ですか?」と聞いてくるわけです。まあ、たしかに知り合いだったりはします。しかし、知り合いとお友達は必ずしも一致しているわけではないので、自分も利用していながら、個人情報駄々漏れのシステムには少々辟易しています。こちらに知らせが届くということは、当然相手にも届いてるのでしょうね。
Facebookはネット上で完結するものではなくて、実生活に結びついているので正直面倒なんですよね。自分の現況を大いに知らしめたい人にはいいかもしれませんが、私の今日のお昼はカップヌードルでしたとか一々報告したくないですからね。友達同士の冗談で済めば良いですが、下手なことを書けば信用を落としかねません。あまり細かく書くと、お前は1週間のうちに何回牛丼食べてるんだとか羞恥プレイもいいところです。それじゃ寂しいというので、たまに豪華な食事をした時にだけ報告しようと考えたら、果たして1年のうちに何回あるだろうとか、それも余計に悲しくなりそうです。
まあ、そんなことは実はどうでも良くて、昨年私のかつての同僚が亡くなったんですが、それを知ったのはお身内の方からの喪中はがきだったんですね。お互いに以前の会社をやめてから随分経っていたので年賀状くらいしかやりとりが無かったのですが、その葉書を頂いた時に、もしかしたらあるかも知れないとFacebookを確認してみたのです。同姓同名の方が何人かいましたが、そのうちの一人が間違いなく彼でした。写真で久しぶりに見た顔は、昔と少しも変わらない優しく穏やかなものでしたが、それを見て余計に悲しい気持ちになりました。更新は随分前に止まっています。はがきには亡くなったことしか書かれていなかったので、何が原因で亡くなったのかもわかりません。何かしらそのことについてコメントがあるかも知れないと思っていたのですが、それもありませんでした。
そこでまたちょっと考えてしまいました。友達登録している人は何人もいるけれども、そのうち彼の死を知っている人は果たしてどれくらいいるのだろうかと。そして、このページは一体いつまであるのだろうと。
残っているのは構わないと思います。むしろ、彼のことを知っている人が誰一人いなくなるまで残っているなら、きっとそれもいいのでしょう。それよりも先にFacebook自体が無くなっていたとしても、それでもいいでしょう。ただ、もうこの世にいない人を、生きているかの如く残しておくのはどうなのだろうと考えてしまいます。今日も「彼をご存知ですか?」とメールが来ています。訪問した相手を一々記録されているのかと思うと複雑な気持ちになりますが、それ以上に亡くなっている人を友だち登録するように勧めてくる機械的なシステムに違和感を覚えています。
タイトルに上げたデジタル遺産管理人というのは、日本ではまだ利用できないようですが、亡くなった本人に変わってアカウントを管理できる代理人のような制度です。もともとFacebookには追悼アカウントのリクエストというのがあるんですが、これによって追悼アカウントになってからの管理ということのようです。もっとも、本人のアカウントやパスワードを家族がわかっていれば、本人に代わって管理は出来るでしょう。でも家族と言えども、あまりパスワードを教えることはないでしょうね。特に我が家では秘匿事項です。
お互いに知って、というよりは、私のことを知っても良いことは何ひとつありません。パソコンやスマホは最後の希望すら残らないパンドラの箱です。だから実はFacebookやtwitterなどよりも、我が家にあるパソコンをどう処分すれば良いのだろうかというのが専らの悩みです。そのうち勝手に壊れるんでしょうけどね。きっと誰もわざわざハードディスクからデータを取り出そうとは思わないでしょう。その昔スパイ大作戦というドラマで、このテープは自動的に消滅するというのがありましたが、あれは後々のことまで考えたとても合理的な装置だったんだなと今は思います。
(photo by Spc_18-1.jpg | Flickr – Photo Sharing!)
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